2016年御翼11月号その3

                                        

『人生の目的を探る旅』――リック・ウォレン牧師  

あなたの人生を動かしているものは何か

① 多くの人は、罪責感に駆り立てられて生きている(弟を殺したカインは、その罪責感ゆえに神から遠ざかった。そんなカインに神は、「あなたは、この地上をさまよい歩くことになるだろう」(創世記4・12NIV)と言われた。)彼らは、後悔から逃れ、またその恥ずかしさを隠すために人生の大半を費やしている。罪意識に駆られて生きている人たちは、特定の思い出に支配されてしまっている。そして、自分の成功を台無しにすることで、無意識のうちに自分自身に罰を与えてしまう。私たちはみな、自分の過去と無縁ではいられないが、その虜になる必要はない。神の目的は、私たちの過去によって制限されることではない。神は、モーセという殺人犯を思いやりに満ちた指導者に変えられた。神は、人々に新しい出発をお与えになる専門家である。「何と幸いなことだろう。その罪を赦された人たち」(詩篇32・1LB)。
② 多くの人は、怒りと憤りに駆り立てられて生きている「怒りを溜め込んで、死ぬほど思い煩うのは、愚かで、馬鹿げたことだ」(ヨブ5・2TEV)。
③ 多くの人は、恐れに駆り立てられて生きている「成長した愛は、恐れを締め出します」(ヨハネ第一4・18MSG)
④ 多くの人は、物質主義に駆り立てられている
⑤ 多くの人は、認められたいという願望に駆り立てられて生きている

「人生の目的」がわからないのは、私たちが間違った出発点、即ち「自分」から出発してしまうことによる。あなたは自分で自分を造ったわけではないのだから、自分が何のために造られたのか分からないのは当然なのだ。正しい出発点、それはあなたを造られたお方である「創造主なる神」である。あなたが今、こうして存在しているのは、神がそう願われたからなのだ。あなたは神によって、神のために造れた。このことが理解できるまで、人生は決して意味あるものとはならない。私たちが、自分の起源、アイデンティティ、意味、目的、重要性、そして行き先を見出すのは、この神にあってなのだ。「自分に固執していると、やがて行き詰まることになる。神を仰ぎ見ていれば、開放的で自由な人生が目の前に開けてくるのである」(ローマ8・6MSG)。

どのようにして神の栄光を現すのか
どんなものであれ、被造物がその造られた目的に従って生きるとき、神の栄光が現される。
① 神を礼拝することによって、神の栄光を現す
礼拝というのは、教会で行われている集会に参加する以上のことである。礼拝とは、神を喜び、神を愛することであり、神の目的に自分を用いていただくために自分自身を神にささげる(与える)ことである。神を喜ぶとき、私たちは神を礼拝しているのだ。神は、私たちが義務感からではなく、愛と感謝と喜びをもって神を礼拝することを望んでおられる。神の栄光のために自分の人生を用いるなら、あなたの活動はすべて礼拝となるのだ。「あなたがたの体をすべて、神の栄光のために、義を行うための道具として用いなさい」(ローマ6・13NLT)。
② 神の家族に属する他の人々を愛することによって、神の栄光を現す
「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。そのとき、神の栄光が現されるのです」(ローマ15・7NTL)。
③ キリストに似た者となることによって、神の栄光を現す
「主の御霊が私たちのうちに働かれるとき、私たちはさらにキリストに似た者となり、神の栄光をますます輝かせるようになっていくのです」(Ⅱコリント3・18NLT)。
④ 他の人たちに仕えることによって、神の栄光を現す
「神は、実にさまざまな霊的賜物の中から、あなたがた一人ひとりに賜物をお与えになりました」(Iペテロ4・10NLT)。
⑤ 他の人たちに神のことを伝えることによって、神の栄光を現す
「神の恵みによって、さらに多くの人がキリストに導かれるとき………神はいよいよ栄光をお受けになるのです」(Ⅱコリント4・15NLT)。 
リック・ウォレン著『人生の目的を探る旅』(パーパス・ドリブン・ジャパン)より



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